アーユルヴェーダを学ぶ過程で起こった、私の不思議な癒しの体験をシェアしたいと思います。
私は、アーユルヴェーダを学んで大きく変化しました。
環境、人間性、価値観、体調など、取り巻くさまざまなものが変わり、以前と今では、時間の過ごしかたでさえ大きく違っています。
これらすべての好転的な変化は、「自分の存在を認められるようになり、好きになれた」ことによるものだと思っています。
それでもまだ、私は変化(癒し)の途中です。
「癒し」には段階があります。
①痛みに気づいてあげる
②自分に幸せになる許可を与える
③自分を大切にして、愛を与える
④自分の本質に気づく
⑤誰かに癒しを与えられる(ヨガでいうサットバな状態)
私は今、自分の見立てでいうところの「③自分を大切にして、愛を与える」の段階で、本当に毎日好きなことだけをやって、やりたくないことはやらないで、自分のペースで暮らしています。
世の中の「こうあるべき」に囚われると、「仕事をしてたら無理」とか、「時間がないから無理」「家族がいたら無理」とか、できない理由はいくらでも作れます。
なので、このような環境は誰にでも与えれるわけではなく、整った人のところに、整ったタイミングでやってくるのだろうとも思います。
これまでの私も、「自分を愛したい」「自分を癒したい」と何年願っても、何冊本を読んでも、叶うことはありませんでした。
自分の中で助かりたいと思った時、ふと偶然の導きによってアーユルヴェーダと出会い、今に繋がっています。
本当に不思議なもので、「それ」はずっといつでも「そこ」にあるのに、本当に必要なタイミングにならないと、気づけないのです。
ここにくるまでには、辛いことを思い出したり、自分の汚い(と思い込んでいる)部分と向き合ったり、苦しい時期もあったり、グルの言っていることの意味がわからない時もあったり。
だけど、今ならその記憶の裏にある「ほんとうの自分の姿」までもがはっきりと見え、それを知ることで自分が大好きになり、今になってグルの伝えてくれていたことを理解することもあります。
グルからの学びは現在も継続していますが、今体験している「この過程」も数ヵ月前にグルが私に教えてくれていたことです。
何かを「得よう」と思って行動している間は何も手にできなくて、毎日コツコツと「自分に取り組む」ことで、やっと「舞い込む」もの。
アーユルヴェーダは人生に気づきを与える「光」のひとつであって、お薬のように直接的にあなたを救うものではありません。
でも、もしあなたが、あなたの人生を生きたいと願うなら、アーユルヴェーダはいい指標となるかと思います。
いろいろ知った風に書きましたが、結局は「辛かった反動でわがままに暮らし初めたら、なんか幸せになってきた」ということです。
やるべきことは然るべきタイミングで訪れるので、焦らなくて大丈夫だと思います。
Loka Samasta Sukino Bhavantu